駅で自殺を目撃した(グロイかも知れない。要注意)

目撃と行ってもその瞬間ではなくてその直後。

電車で会社に行こうと最寄り駅のホームに降りたらなにやら異様な雰囲気だ。電車がホームを半ばあたり過ぎたところで止まってる。単なるオーバーランかな?とか思ったら電車の後ろのあたり、線路の脇に遺体が転がっていた。うわって思って0.3秒ぐらいで目を背けた。遺体はミンチ状ではなくてちゃんと人間のカラチをしていた。肌色と血の色が見えた。服は殆ど破けてしまっているようだ。

あたりには変な匂いが漂っている。その匂いの正体が暫く判らなかったがちょっと考えて推定できた内容に吐き気がした。電車はパンタグラフから給電されそれが車輪とレールで接地される。走っている電車の車輪には高圧の電流が流れているのだ。それに触れて遺体が焦げたのだろう。

遺体の姿は無様だった。自殺は消えて無くなりたいという欲望から生じる行動だと思うが消えて無くなるどころか強烈な存在感を放つ物体に自らを変える行動だ。本人の意識は消滅しているので気がつかないと思うが電車への投身自殺ってのはそれが衆目に晒されるという意味で決して無にはならない。その姿は無様で醜くてグロくて格好悪い。あと、電車が止まって強烈に迷惑だ。

自殺という行動に対して全面的に否定する気には馴れない。自らの尊厳を維持するために、或いは生きる苦しみから解放されるために死という選択肢しか取りようのない状態というのは想像しうる。死に向かう人にそんな余裕はないのかも知れないけど死んだあとにどうなるかってのは知った方が良いのだろう。

じゃあ、どんな方法がいいのかって言われるとそんなことは知ったこっちゃない。けど、死ぬ人は自分の骸が人目に付かない方法を選んで欲しいと思う。

多分、電車で自殺する人はそのあとどうなるかって事を余りよく知らないのだろう。ミンチ状になるって深く考えもせずにそう思っていたけどそこまでになるにはかなりの偶然が必要だ。普通は車輪に巻き込まれずに跳ね飛ばされて死ぬのだろう。

そして電車での自殺に限らず死を選ぶ日本の現代人に欠けているのは死に対するリアリティだ。死が日常には無くてそれが想像しづらいのだ。もっと死が身近にあれば死を選ぶという行動はもっと抑制されるはずだ。じゃあ、どうやって死を感じる機会を得るかというとそれはそこは難しいってか対応不可能に近い。ただ、俺は幸か不幸かこうやって体験できたわけだからその記憶を焼き付けるためにもこうやってテキストに残しておく。