「たまや」と「かぎや」

「たまや、かぎや」の掛け声で有名な花火屋だが今ではあまりその名前を聞かない。なぜだかご存知のかたは少ないのではないだろうか。

玉家は日露戦争以降、軍需産業に特化していった。火薬力は強ければいいというわけではなくその安定性こそ命中率を上げる要諦といえる。玉屋はその技術に抜きん出ていた。日露戦争で三笠を旗艦とする連合艦隊バルチック艦隊を破ったのは玉屋の技術があったからこそとされている。

その後、安定性だけではなく抜群の爆発力を誇る火薬を開発し戦艦大和46cm砲の開発に寄与した。当時、この主砲は口径が世界最大なだけではなく射程距離も世界最大だった。

敗戦後、GHQは玉屋の解体に着手した。表向きは日本の軍事力を削ぐためという目的であったが、その実、米軍のために玉屋が必要であったことは言うまでもない。玉屋の技術は根こそぎアメリカに持っていかれた。それは冷戦時代を常に米国優位に位置づけることに役立った。クラスター爆弾などは花火の技術を応用した兵器であることは今や公然の秘密である。

鍵屋は軍事産業に手を染めず細々と営業していたため、今でも残っている。しかし、玉屋の技術力が花火産業に生かされたなら日本の花火は世界に50年ぐらい先行していたに違いないと言われる。ちょっと残念だ。