自分の妻子を殺した男性

「私を死刑に」「あなたが生き残った意味必ずある」
ダウン症やら自閉症やら身体障害児やら普通に考えると社会の中で生きる力が無さそうなのに生きる権利があるとされる人たちが居る。
勿論、彼らに生きる権利があることに異論はないんだけどそれが重度の障害であればあるほど社会的な負担が大きくなる。
その社会的な負担をごく一部の身内に任せてしまうからこんなような悲劇になるのだ。もっと社会全体で負担を分担できるようにならないか。
けど、その負担もある程度の限度はあるだろう。無条件に社会が支え続けることが本当に正しいのかどうかと言うとかなり疑問だ。これからも医療技術は発達し続けるだろう。社会の負担により生き存えさせることが出来る領域の人たちを増やすことに何の意味があるのか。何処かで線引きをしなければならない。かといって救える命を殺してしまえと断ずるだけの冷淡さを俺は持つ事が出来ないけど。
今みたいに生きる権利だけが保障され、殺す権利は悉く否定され、そのツケは身内が極端に多く負担するという世の中が続くのはまずいんだろうなと思う。
この男性の人生はいかに苦渋に満ちていたか察するに余りある。残った生はその苦しみを訴えることに力を割いて欲しいと感じた。