市橋達也容疑者の事

市橋達也君に告ぐ | 本山直樹 Website

仮定の話。

市橋達也容疑者とリンゼイ・アン・ホーカーさんは深く愛し合っていたが寄り添えない理由があった。或いは市橋容疑者が深く愛してしまったがアン・ホーカーさんはさほどでもなかった。離れるぐらいだったらいっそ殺してしまいたい、そんな考えが一瞬でも頭を過ぎってしまうことはあるかもしれない。俺にはそういう経験がある。誰にもあるとは思えないがそんなに珍しくないと思う。

いっそ殺してしまいたいという気持ちを持つことと、行動に移すか事には大きな隔たりがあるのか、それともちょっとしたきっかけで左右されてしまうのかは判断に苦しむところだ。結果的に俺は行動に移さなかった。行動に移したとしても逃げられたり途中で思いとどまったりすることもあるだろう。動機はあっても犯罪に至までには幾つかの壁を乗り越える必要があるのだ。幾つかの穴に落ち続けると言うべきか。

いろんな思いや意志や偶然が重なって市橋容疑者は殺してしまった。この事件が凡庸でなかったことは市橋容疑者が三年近く逃げ続けることが出来てしまったことだ。普通は逃げたとしてもすぐに捕まる。けど彼は逃げ続けることが出来てしまった。幸か不幸かって言われたら逃げ続けることが出来てしまったことは不幸に近いだろう。

彼は自分の起こしてしまったことの重大さを取り扱うことが出来ずに逃げ続けた。捕まって罪を精算する必要がある事が判っていたとしてもそれに向き合うことが怖かった。その恐怖心からも逃げ続けた。逃げるために整形までした。

結果的に整形したことがきっかけで彼は捕まった。それは彼が恐怖していたが故と言って良いだろう。

こんな風に仮定すると市橋容疑者は極悪人でも何でもない。普通の青年だったのが何かのきっかけで人を殺めてしまっただけに過ぎない。

さらに仮定の話。市橋容疑者は用意周到でも何でもなく遺体を自宅に放置するという杜撰さだ。それなのに逃げ続けることが出来た。彼がもう少し機転が利いたとしたらどうだろう。ずっと逃げ続けることが可能だったのではないか。機転が利かないとしてもホームレスに転落していたらどうなっていただろう。彼は中途半端に機転が利いたから逃げ続けそして捕まったのだ。

もしかしたら続く