TADウィンドシンフォニーってのを聴いてきた

  • 演目は下記の通り
Dreams of Flight(A Symphonic Overture)/Justin Raines
ドリームズ オブ フライト/ジャスティン・レインズ(世界初演
A Zarzuela & Other Lost Works/Jason Thorpe Buchanan
ルスエラと失われた音楽的断片/ジェイスン・ビュキャナン(世界初演
Movement for ROSA/Mark Camphouse
ローザのための楽章/マーク・キャンプハウス
Deserts/Philip Sparke
ディザーツ/フィリップ・スパーク(日本初演
Prayer for Asia/Anthony LaBounty
アジアのための祈り/アンソニー・ラバウンティ(日本初演
Praise Jeresalem/Alfred Reed
エルサレム賛歌/アルフレッド・リード
  • 飲み屋で会った人に誘われて場違いな場所に行ってみた。誘ってくれた人は楽団員なので誘ったと言うより営業だ。けど、場違いな場所に勇気を持って出かけてみるとだいたい楽しいので誘われたら出来るだけ行くようにしてる。今回も「えーどうしようかなーつまんなかったら損だなー」ってgdgd考えつつも行くことにした。
  • プログラムは上記の通り全然わかんない。クラッシック|現代音楽は畑違いとは言え人並み以上には詳しいはず。それなのに知ってる作曲家が誰もいない。行くって言ってからプログラム見てえーなにこれって思った。不安が募る。
  • けど行ってみて正解。かっこよかったし楽しかった。誘ってくれた人も飲み屋に居たときとは違ってキリッとしてた。当たり前か。
  • 時間ぎりぎりになったんだけどコンサートに入る前にビール一杯は飲みたいって思うのが普通(?)なので今回もその通りにした。焼鳥屋に入ったんだけど串が出てくるのが遅かったので焼酎のロックを一杯飲んだ。んで、15分ほど遅刻。クラッシックっぽいコンサートは久しぶりなので会場の中をズカズカ歩いて席を探す。席に着いてから失敗に気づく。こういうところでは演奏中は微動だにしてはいけないのだ。空気読めよ俺。
  • そんなんで落ち着いた心持ちになったのは後半の三曲なんだけど三曲とも良かった。特に最後のエルサレム賛歌ではいきなり後ろからホーンの音が鳴り響くというギミック付き。二階席の両脇に三人ぐらいずつトランペットとかトロンボーンがいた。ちょっと驚いたし音響効果としても面白かった。四方から音に攻められる幸せ。ちょうど真ん中あたりに座っていてラッキー。
  • どうやら作曲家らしき人が曲の合間に指揮者から会場に呼び寄せられていた。俺と同年代ぐらいの作曲者が顔を出してるって事からも判る通りどの曲もわりと最近に作曲された曲ばかりのようだ。そういう意味では現代音楽って言って良いのか。けど、それほど尖った感じもない。かなり複雑な曲ばかりだけど聴きづらい曲ではない。逆に言うと目新しさも感じない。60年前に作曲されたメシアンのトゥランガリーラ交響曲と昨日聴いた奴、どっちが新しい?って聞かれたら俺はメシアンを選ぶ。ストラビンスキーあたりと同年代に感じるような曲かな。手厳しいことを言ってしまうと進歩してない。進歩しようがないって言った方が良いのか。純粋芸術としての音楽ってのはやっぱりジョン・ケージがとどめを刺してしまったのだ。
  • そんな事言ったらマイルス・デイビスキース・ジャレット以降のジャズには意味があるのかって話にもなる。進歩し続ける、何か違うことをする事ばかりが表現活動のアイデンティティを保つ上での絶対条件でもあるまい。
  • なんて考えちゃうぐらいナイスな演奏だったって事ですよ。
  • 音楽を作る上での楽団員の意味ってのを少し考えた。彼/彼女らはものすごい努力して技術を高め保ちつつ、それでも音楽を「創る」って事には殆ど寄与できない。勿論、彼らがいなければ音楽は成り立たないんだけど。一定程度の技術を持っていれば入れ替え可能であり、入れ替わったところでその出来映えには大して影響しないだろう。
  • それでもこのすばらしい場所と時間と音を共有できる喜びってのはあるのだろうなって実感した。どんな「物・事」でも「作る・造る・創る」喜びはある。それはビルや道路でもライン作業で作る自動車や電気製品でも音楽であっても同じなのだろう。そこに参加する尊さは等しいのだ。
  • カメラ忘れたので今日は写真無し。