伊藤和也氏に関する感想

まずは伊藤和也氏のご冥福をお祈りしたい。
今回のアフガニスタン人質殺人事件に関してはイラク三邦人の時の自己責任論が噴出することもなく概ね好意的に受け止められている感がある。それに対しても安堵している。けどまだ自己責任論も散見するけど。

イラク三邦人を「自己責任」の名の下に断じ、今回の伊藤氏には同情するってのはどういうメンタリティだろうか。結果的に死んでしまったor助かってしまったってのも大きいかな。

それ以外のファクターとしては高遠氏の弟が随分と世論からそっぽを向かれた上でその姉がモグモグしているのが連続して流されたこと*1イラク三邦人の活動の趣旨が判りづらかったのに対して、伊藤氏のペシャワール会は支持を得やすいこと、あとは単純に伊藤氏の人の良さそうなルックスだろうか。

いくつかの感覚的要素を排除するとして、イラク三邦人の活動とペシャワール会の活動を比較したい。イラク三邦人の時はあまり話題にならなかったけど、彼らは東長崎機関と密接な繋がりがある。郡山氏と高遠氏は同サイトで見かけたことがある。今井氏はわかんないけど多分、繋がってるだろう。そして東長崎機関は賛否両論(というか否定論が多かった)があった「人間の盾」に関わっていた「組織」*2だ。

恐らく、単純に東長崎機関ペシャワール会を比較したら圧倒的にペシャワール会の方が支持を得るだろう。じゃあ、支持を得ない活動は「自己責任」とされ、支持を得たら英雄なのか。それは違うだろう。どちらの場合も活動すること自体が非難されるのはちょっとおかしい。活動の方向性や質が問われるべきかと思う。

出来れば今回の伊藤氏の死にさいしてイラク三邦人の事がもう少しだけ見直されることを期待したい。俺も彼らを全面的に肯定するつもりもないけど「迷惑かけてふざけんなバカ」みたいな扱いはあまりに不当だと思うのだ。

参考資料:
政治・人質の自己責任論について
《人生相談》どこかの国の人質問題 高橋源一郎
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それでも伊藤氏に「自己責任」を突きつける人に。ペシャワール会は命の危険がある作業をしているという自覚はあるみたいだ。
ペシャワール会 現地訪問の原則

現地は生死をかける程の緊張感を持って仕事をしていることを知っていただきたいのです。医療活動やアフガニスタンでの井戸や用水路建設の水計画、農業計画を、少数の日本人と多くのパキスタンアフガニスタンの人々により、厳しい自然環境や文化や貧困・飢餓・旱魃・政治・軍事的な環境、迫り来る時間や多くの摩擦の中で黙々と進めています。

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ペシャワール会の意図についてはここを読むとよく判る。一部が抜粋されて取り沙汰されている部分もあるけど全文読むととても納得できる。

マガジン9条〜この人に聞きたい『中村哲さんに聞いた』〜

この中で言われていることだけど中村氏はイスラム社会に対する欧米のNGOの介入をやんわりと非難している。

中村:おおむね、狙われたのはイスラム教というものに無理解な活動、例えば、女性の権利を主張するための女性平等プログラムだとか。現地でそんなことをすると、まず女性が嫌がるんです。キリスト教の宣教でやっているんじゃないか、と思われたりして。
編集部:宗教的対立感情みたいなものですか?
中村:いや、対立感情は、むしろ援助する側が持っているような気がしますね。優越感を持っているわけですよ。ああいうおくれた宗教、おくれた習慣を是正してやろうという、僕から言わせれば思い上がり、もっときつくいえば、“帝国主義的”ですけどね。そういうところの団体が、かなり襲撃されています。民主主義を波及させるというお題目は正しいんでしょうけれど、やっていることは、ソ連がアフガン侵攻時に唱えていたことと五十歩百歩ですよ。

どちらにせよ農業の復興だって治水事業だって一部のイスラム原理主義勢力から見れば文化の侵害と取られるかも知れない。農業にもあそこなりの伝統とかもあるだろうし、水の流れ方も何らかの意味合いを持つ風水的な文化を持つ可能性だってある。だから、外国人が入り込んで活動するのは何らかの軋轢があるのだ。

それであったとしてもペシャワール会に対して、また人間の盾に対してもある程度の敬意を払いたい。少なくとも安全な場所から非難することだけはしたくない。

*1:これはマスコミの悪意であるとの見方もある

*2:組織と言うよりもう少し緩やかな感じの集まり