岩田和輝(いわたかずき)君のこと - 現前性のズレ

http://www.netplanna.com/iwata/kazuki.htm
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=370568&media_id=32

横浜市都筑区で一ヶ月ぐらい行方不明になっていた発達障害を持った岩田和輝君12歳が無事保護されたらしい。まずは無事を喜びたい。

けど、この事件を通して奇妙な捻れ構造を感じたのでそれを書く。「現前性」というのは最近覚えた言葉だけど恥ずかしげも無く使ってみようと思う。使い方間違えているかも知れないけど。

この失踪事件はネット上ではあちこちで取り上げられていたようだ。チェーンメールとかmixi上の日記とか。俺が参加している横浜のコミュニティでもトピックが立っている。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26219984&comment_count=327&comm_id=262

ネットで(大騒ぎには至っていないとはいえ)ここまで耳目を集めるという事実、そして12歳の少年が一ヶ月も放浪していたのに誰も保護しなかったという事実にアンバランスさを感じざるを得ない。

一ヶ月間、着替えもせず、風呂も入らずかなりみすぼらしい姿になっていたと思われる。そんな彼がデパチカ等の試食で飢えを凌いだという。かなり異様な姿だっただろう。けれど、誰も保護しなかった。だから一ヶ月も経ってしまった。

ネット上の現前性には人々はビビッドに反応するのだが、物質空間のそれには無頓着。そんなのが実態なのではないだろうか。物質空間の現前性には幾ばくかのリスクがあるのだ。例えば泣いている子供に「どうしたの?」と声をかけたら近くにいる親に「知らない人とお話しするんじゃありません」とかその子供が叱られて、声をかけた本人がキッと睨まれるってのはありがちなリスクだ。そんなリスク(小さなリスクだけど)を犯してまで人は今ここにある現前性に向き合おうとはしない。

ネット上で声をかけ合うことが悪いことだって言うつもりはない。そっちじゃなくて今まで岩田君を見のがしていた全ての人に小さな責任が少しずつ生じていると思う。

ネットでの現前性をそう呼んで良いかどうかと言うのは異論があると思うけど、俺はそれで良いと思う。物質空間だけではなくてネットだってリアル=現(うつつ)なのだ。そこに向き合うのは悪いことではない。けど、自ら影響を及ぼしうる現前性に見向きもせずネットに現れるそれだけに注視するのは奇妙なことだ。俺もネットジャンキーだとは思うが見逃しては行けない身近なところにも注意したいと再認識した。

ちょっと話を大きくすると...
ネットとマスコミは現前性を恣意的にシャッフルする存在なのだと思ってる。ネットやマスコミに取り上げられた自分とは関わりのない些細なことでもそれがクローズアップされれば向かい合わざるを得なくなる。向かい合うべきと、向かい合うべきではない事と、我々は判断し続け選び取り続けなければ情報に押し流される他、術が無くなるのだ。