チリの落盤事故に関して少しだけ

チームワークの勝利だとかリーダーの人格だとか言われている。勿論それもあると思う。通信技術の発達により事故現場の要素がリアルタイムで判るようになった。それに関しても今日的であったという評価がある。それもそのとおりだと思う。

ただ、あまり語られていないように思うのが「我々が見ている」ということは「彼が見られている」ということに他ならないってところだ。人は誰も見ていないところと見られているところでは自ずとその行動が異なってくる。彼らは見られていることにより英雄的に振舞うことが出来たし、そのことがさらに彼らを英雄的行動に駆り立てた。そんな良い相乗効果があったのだ。

ここまで事故が見えてしまうって事は同時に恐ろしくもある。今回は助かった事例だけど同様に助からない事例も見えてしまうことがあるかもしれない。あの鉱山の中でレイプや殺し合いが起こりそれが世界中に流れてしまうケースも今後可能性としてないわけじゃない。

今回の事件は映画にもなったウルグアイ空軍機571便遭難事故を思い出させてくれる。もしあの事故が中継できるのに救助が出来ない状態で、しかも生き残った人たちが人肉を食らったとしたら。世界はそれをどう報じるのだろうか。

今回は「見ること」、「見られること」が良い相乗効果だけで終わった。けどこれが悪い方向に歯車が回ることだってあるのだ。