日刊ゲンダイから見える情報のフラット化

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日刊ゲンダイ ・ 社会/東国原浮かれ知事に天罰 口蹄疫大被害と疫病神知事 お笑い芸人失格人間を知事に選んだ宮崎県民に責任があるのに国の税金で救済は虫が良過ぎないか

この記事がweb上で叩かれまくっていて面白い現象だなと感じた。

俺はスポーツ新聞=タブロイド紙を全然読まないんだけど友人が読んでいるのを横から覗いたことぐらいはある。ずいぶん前のことだけど東スポとか酷いもんだった。出鱈目な記事ばっかりだ。日刊ゲンダイがどんな新聞だか知らないけど多分、大同小異だろう。

ゲンダイもそれ以外もこのくらいに酷い記事は今までもあったのだ。それを駅で買って電車の中でニヤニヤしながらよむというニーズもあったのだ。そんなふうに読むための記事は出鱈目で十分だったのである。読者もそれを求めていたし新聞社も記者もそれに応じていた。文句なんていう人は殆どいなかった。いたとしても目立たなかった。スポーツ新聞と言う枠組みの中で必要とされ機能してきた。

それが今やどうだ。テレビ番組も一般紙=クオリティペーパーも雑誌もラジオもエロ本も哲学書もウェブに載ってしまえばソースは何であれ、批判やツッコミや揶揄の対象になる。スポーツ紙を書いて読んでる人はそんなこと想像もしていなかったんだけど、否応なしにそうなる。となるとエロ本も哲学書もある意味同等に扱われると言うことだ。

今回の記事はウェブ上でもやりとりが増えている口蹄疫の話題で切り口が全然違う暴論がポンと出てきたので炎上に近い状態になったのだろう。

なんかよくわかんないけど、使い方間違えてるかもしれないけどすごくポストモダン。すごくフラット。スポーツ新聞という枠組みの中でぬくぬくとしていた情報も丸裸にされたけど、同じことが純文学や哲学書でも起こりうる。階層化されていた情報は同じところに放り出されたのだ。

このことはツイッター上で発生していることとよく似ている。ツイッターは良くも悪くもコンテキスト無視だ。あらゆるメディア上の情報が分断され要約されツイッターみたいに短いところに押し込められると全てのコンテキストは失われる。

情報はそのような流動的な断片から受取らざるを得ない。受け取る側のリテラシーはますます要求されるけどそれが育つ土壌はあるのだろうか。