mixiについて - 第二の破壊

mixiは壊れつつある。少なくとも俺が当初愛したmixiではない。何を今更って言われそうだ。mixiが壊れつつあるなんてのは今に始まったことではない。人の適度な少なさがmixiの魅力だったのだ。それがどんどん膨れあがって近年はネットコミュニケーションの最右翼になっている。招待制で人の集う人の「質」を高めるという当初の目論見は意味が無くなっている。人が増えすぎて壊れたってのは言わずもがなだ。そんな事を今更言うつもりはない。

俺にとって最初のmixiは新しい繋がりを発見出来る場所だった。結構、ワクワク感があった。それが人が増えるに従って俺の中では人と会える場所から遠ざかってきた。それが第一の破壊。クラスメイトの中から友達を探すのは容易だけど雑踏から探すのは無理なのだ。mixiは雑踏になってしまった。それでも既に繋がっている相手との関係を維持するための装置として俺の中でmixiは機能し続けていた。

人と人とが繋がっていられるのは言葉を交わしてこそだと思う。マルチメディアだ何だと言っても人と人との繋がりは言葉が主体だ。その言葉がここ最近、急激に減ってきている。それが第二の破壊だ。

理由は明確でmixiアプリのせいなのだ。アプリのお陰で今までは綺麗な言葉や面白い言葉、そうでなくても日常的な会話で繋がっていられたのがアプリで繋がるようになった。綺麗な言葉より虫撒きの方がコミュニティの中で価値を持つようになってしまった。頭の良い面白い人より虫を何とかしてくれる人の方が貴重になってしまったのだ。

頭が良い人ばかりが持て囃されるのもどうかと思うが脳みそより虫撒き主体になったコミュニケーションに発展性があるとは思えない。とはいえ、現代はそんなコミュニティを運営した方がビジネスとしては正解なのかも。

だからといって俺はmixi脱退とかは考えないけどだんだんとmixiに対する距離を置くようになるだろうなと思う。アクセス回数も随分と減った。そんな人は多いんじゃないかと思う。新しいユーザーを獲得して既存ユーザーに逃げられるってヤツだ。それがmixiの選んだ道ならしょうがない。

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追記 2009-12-04 (Fri) 10:46
別にアプリすることに対する批判ではないですよ。アプリしながらもいい言葉を吐ける人は多いし。変わっちゃうのは必然で変わることに対する批判的な意図もないです。少し扇情的に書きすぎたかな。