オリンピックとナショナリズム
- オリンピックは祭典であり、祭典はポトラッチ的に言うと蕩尽だ。蕩尽は経済活動などの起爆剤になりうる。嘗ての東京オリンピックはそういう起爆剤としての機能を充分に果たしたと言えよう。ペキンはどうなのかってのはこれからの評価されると思う。
- さて、日本にそういう起爆剤が必要かというと俺には必要とは思えない。元々成長要因があるところにオリンピックを持ってくれば一気に花開く可能性があるけど日本みたいに衰退要因しかないところでのオリンピックは箱物行政に近いんじゃないか。今回の東京プランはなるべくそうならないような配慮があったようだけど。
- 前段の前提に依ればオリンピックは暫くBRICs諸国で行うのが正しい。次はロシアとインドだ。
- ただし、インドや中国が日本並みに経済発展を遂げると忽ち資源が枯渇することになるだろう。だから経済発展させちゃいけないって日本人である俺は言えた義理じゃないが。起爆剤になるのを恐れるならBRICsは避けるべき。IOCにそんなことも考えろって言ってもあの組織の中でそんなコンセンサスが得られるわけもない。
- 反ナショナリストってのは日本が嫌いとかって話じゃない。全ての人がナショナリズムを捨てられれば良いのではないかと。ナショナリズムは戦争の原因にもなるし、殆ど全ての戦争*2のモチベーションはナショナリズムがその原資となってる。
- 自分の国家を愛することは多の国家を憎むことに繋がりやすい。それが俺にはとても醜く感じる。
- もっと小さい範囲を愛すればいいのにと思う。「日本万歳」とかじゃなくて「にゃごや最高だがやー」とか言ってれば平和だ。国家という暴力の枠組み*3の内側にある県同志が多少啀み合ったとしても大した事にはならないはずだ。
- 話をオリンピックに戻すと戦争の原因や原資になりうるナショナリズムを発揚する方向でのオリンピックは否定したい。もっと国際交流や国家間の相互理解に繋がるような機会としては歓迎しないでもない。
- であれば国家という枠組みを取り払ったらどうなんだ。国家が選手をサポートしてオリンピックの場に送り出すのではなくて各スポーツの国際機関が直接オリンピックの選手を任命する。チームスポーツはナショナルチームにしないでアジアAチームととかヨーロッパBチームとか地域ごとにごちゃ混ぜの編成にする。
- そんな風にやって国家というバイアス無しに純粋に選手を見る機会としてのオリンピックが出来ればとても素敵じゃないかって思うのだ。