酒井法子のこと

前に罪とは何かって事について考えたことがある。ここで言う罪は法に触れるという意味ではない。広く一般に悪い事って捉えて貰いたい。多分、この罪という概念を宗教的に拡充してもこの定義は通用しうる。

  1. 他者に危害や損害を与えること
  2. 他者に危害や損害を与える可能性が高い行為を行うこと
  3. 自己に危害や損害を与えること
  4. 自己に危害や損害を与える可能性が高い行為を行うこと

ちょっと補足するとここで言う他者ってのがちょっと微妙で文字通り他者である場合もあるし、社会をもって他者としても良い。他者に神を含めても良いかもしれない。神は他者なのかって問いは俺には堪えきれないので他者ではないって言われれば神を自己に含めても良い。同じように自己と他者って代名詞は神や社会の他に家族とか友人とか国家とか会社とか色々に言い換えることが出来る。そんな広範囲な意味での他者と自己だ。

他者に危害を与える罪は誰が見ても割合簡単に罪として認められる。殺人や傷害、窃盗である。可能性って意味で判りやすい例は今の世の中だったら飲酒運転だろう。飲酒運転自体はそれが危害を与えるわけではないけどそうなる可能性がとても高いとされているため罪として捉えられる。

ただ、他者に危害を与える可能性の高い行為というのは、人間の行う殆どの行為だ。車を運転していても自転車で走っていても道を歩いても人に危害を与える可能性はある。可能性の罪というのはその可能性の多寡により罪であるかそうではないかって評価される。

自己に危害を与える罪となるとまたさらに微妙だ。代表的なのは自殺だろう。自殺が罪であるか無いかって言われたら殆どの人や宗教は罪であるって答える。自殺が罪でなく奨励される社会というのは社会として成り立ちづらいからだ。

もっと微妙なのは自己危害可能性の罪。煙草や酒はこれに当たる。麻薬も一緒。ただ、煙草は副流煙とか他者に与える僅かな危害や、酒は飲んで暴れて他者に危害を与える可能性の罪とかと並列して言われることがある。

罪の明確性と言う意味では他者に対する危害の罪が一番明確で、それ以外は段々と罪なんだか何だか判んなくなってくる。罪だとしても線引きをどこでするかって問題で罪と罪じゃないところに明確なサイがあるわけではない。この辺までだったら許しても良いろう、いや、ダメだって鬩ぎ合いの中で罪が決まる。

と、長い長い前置きの末に酒井法子のこと。

彼女の犯した罪は自己危害の可能性の罪、僅かに他者危害可能性が含まれたそれだ。だから罪なのかどうなのかってのはとても微妙な線なのだ。勿論、それは法的にきっちり線引きされたところの罪なので罪は罪なんだけど、大悪人みたいに言われてしまうのが俺にはとても奇異に感じる。

恐らくは薬物使用というのは飲酒運転なんかと一緒で現代社会の生け贄なのだ。アノミー状態が永く続いている日本社会の中でポジティブな規範を求められなくなった人たちが、ネガティブな犠牲を求めている。自分たちより上にいたと思っている人がやり玉の対象となると言う意味で生け贄なのだ。生け贄は価値があるほどよい。酒井法子という元アイドルはうってつけではないか。

「この辱めをどうしてくれるの?」って夫が逮捕されたときに彼女が言ったらしい。彼女が自らの生け贄の運命を知っていたのか知らなかったのかは不可知だ。けど、俺には生け贄が気位を失う前に放った最後の言葉に聞こえた。

酒井法子といういう社会的影響力を持った人が起こしたので罪は大きいって意見がある。であれば報道しなければ良いんじゃないの?って思う。報道しても良いけど一般の事件として淡々と扱えばいい。大きく扱うほどその影響力は増し罪も拡大する。報道すること自体が「他者に危害を与える罪」に繋がるかも知れない。