加藤和彦の死

加藤和彦のことを考えている。

一生懸命音楽をやってきたが、音楽そのものが世の中に必要なものなのか、自分がやってきたことが本当に必要なのか疑問を感じた。

遺書の全文を読みたいと思ったけど見つけられなかった。けど、これでも俺に伝わってくる物はある。

加藤和彦は日本のロック・ポップスの黎明期を支えた人だ。音楽は世界を変えることが出来るんだって思ってた世代だ。ジョン・レノンは「イマジン」を歌ってる。国家もない宗教もない「所有」もないと歌ってる曲だ。静かな曲だけど革命の狼煙だ。ジョン・レノン加藤和彦を同世代で括るのは少し隔たりがあるけど間違いなく同じ空気を吸いながら音楽を作っていたに違いない。音楽が世界を変えるって信じていた時代だ。

その後、音楽は世界を変えるに至らなかった。ちょっとは影響はあったけど蠅が触ったかな、程度だ。お構いなしに世界は戦争や殺し合いを続けている。世界を変えるかもって思っていた世代はその熱を静かに忘れるか、諦観を持って受け入れるかをしながらその後の人生を歩んできた。

音楽は世界を変えるところから、音楽は音楽でちゃんと人の心を支えたり、新しい何かを想像したりしようよって少し小さいところにその目標を変えてきたかなと思う。80年代頃までは若者文化の主要な担い手としての音楽があった。けど、90年代以降、その役割も少しずつ終わってきた。今、CDは売れないし新しい音楽も出てきてない。極端に言えば80年代まで培ってきた資産を使い回しているだけの音楽が今のそれだ。

加藤和彦の世代は、加藤和彦の人生はそんな音楽の興亡を皮膚感覚として最も感じていたのだと思う。

訃報を初めて耳にしたとき自殺と聞かされる前、「ああ、これから先、こんな形で先人の死を受け入れるのだな。それが始まったな」って思った。普通に死んでも珍しくない歳だからだ。細野晴臣が同い年、矢沢永吉だって還暦だ。ビートルズは二人しか残ってない。

人が死んでも死ななくても時代は終わっていくのだけど、その時代の担い手が亡くなったって話を聞くと本当に終わったんだなって思いを新たにする。終わってしまったことに落胆して自ら命を絶った加藤和彦はその終わった感を如実に俺の前に示してくれた。