続編/写真・八ッ場ダム+温泉+自転車


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田舎な町並みの中に巨大なコンクリートの塊が現れる

ダム工事計画の看板。この地表をこんな奥底に沈めようとしているのかって思う。人類の英知とも言えるし暴挙とも言える。今まであちこちでこんなことをしてきたんだろうな。

JR吾妻線の駅はどこもこんな感じ。こんな駅で「スイカ使えないの?」って駅員に聞いたら「それなんですか?」って返されそうだ。

川原湯温泉の入り口。温泉街は寂れているって聞いてたけど俺が見たところはこぢんまりしているって印象。寂れてる感じは無かった。前は営業していたけど今はもぬけの殻みたいな建物は見あたらなかった。見るところが違うのかも知れないけど。

聖天様露天風呂入り口。

ここが今回の最高到達点かな。

有名な橋脚の下に行ってきましたよ。人が働いていて工事は続行中だった。普通に考えれば今ある作業を淡々とこなすって事だろう。働いている人の胸中や如何に。

告知の看板の古さがこの問題の歴史を感じさせる。ここは50年間ダムを造るの造らないので争ってたらしいからこの看板にしてもその歴史の半分も見ていないのだ。

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ダムをどうすれば良いと思う?って問われれば俺はやっぱり中止が良いと思う。治水の効果も水瓶としての機能も疑問が持たれている中で巨費を投じて作る意味は無い。web上で色々と調べてみたけどダム建築を続行すべき合理的理由は殆ど見つからない。

twitterこんなポストをした。

嫌な男に口説かれて断り続けていたら強姦され脅かされたり金を積まれたりして諦めて結婚するしかないかって気になったらいきなり振られてご破算になった。八ッ場ダム建設予定の川原湯温泉の人はそんな気分だろうと思う。

意に沿わないことでも大きな流れの中では従わなければならないこともある。それが永いこと続けば既成事実としての力も持つ。だからといって一度決めた間違っていることを撤回出来ないって事にはならない。上記の例で言えば人の一生って枠組みなので結婚するってのが合理的解決なんだろうけど、ダムはその人の生涯が終わっても継続する。使った金も戻ってこない。であるなら、被害を被った人に充分な補償をしてダムは中止というのが俺は良いと思う。

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道中、「中之条ビエンナーレ」って案内板を見つけて立ち寄ってみた。会場マップを見ても判る通り会場が分散しすぎ。良い作品も何点か有ったんだけど移動に気を取られて落ち着かない感じ。俺は自転車だったけど、自動車であっても駐車のこともあるし落ち着いて見れないだろう。勿論、電車バスが利用できるような便が良いところでは無さそうだ。これは見に来ると言うよりこの地域に住んでいる人が気軽にアートに親しめるためのイベントだろうか。或いは温泉に滞在している人がゆっくり見るための物か。気軽にふらっと立ち寄れるように会場はどこも開放的だ。その開放性がまた落ち着かない感じがしてそれもマイナスポイントだった。これを六本木とかに移せば楽しめたのだろう。

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さて、自転車のことを少し書く。昔は自転車で漕いでいて上り坂をこんだけ登ったのに下り坂はこれで終わりかよって良く思ってた。最近はそれが逆になってきた。上りはあんまり登ってるって感じがしないのに下りはドーンと下るって思えるようになった。別の言い方をするとなだらかな上りは平坦な道と感じるが同じ道を逆に走るとはっきり下り坂と感じる。そんな風に上りに鈍感に、下りに敏感になった。単純に脚力が上がったのと下り坂が怖いのであまり好きじゃなくなったってのもある。下り坂はスピード出るしここで何かあっても簡単に止まれないし。

今回も往路=上りはそんなに登ってる感じしなかったけど下りは随分下ったと感じた。んで、下りはよっぽど見通し良くないと楽しくないのだ。