家族としての国家、企業としての国家

オバマ大統領の就任演説についてちょっとした違和感を感じていた。ここで語られていたことが正しいとか優れているとかそんなことはどうでも良い。選挙で圧倒的な勝利を収めたオバマ選挙チームが作った就任演説だ。その支持を集めた内容と手法と、それからあの時期に語るべきと考えた内容はあの時点でのアメリカを如実に示している。そしてその試みは概ね好感を持って受け入れられたようなので尚更だ。
下記リンク先は俺がコピペして保管してある就任演説翻訳の全文。

努力と責任感で「どんな嵐にも耐えよう」オバマ大統領の就任演説

古典的な話で申し訳ないが俺が考えている国家と国民の関係というのはこうだ。

  • 国家は国民に人権を保障する。
  • 国民は国家に対する義務を果たす。

ここでいう、人権は「基本的人権」という奴で基本的人権とは何ぞやと問われたらオーソライズされた内容というのは世界人権宣言って事になる。

世界人権宣言(仮訳文)

第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

第三条
すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。

一方、国民の義務というのは日本国憲法で言えば教育、勤労、納税だ。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

基本的に国民は義務を果たせば権利を行使できる。国家は義務を果たしている国民に対して権利を保障する必要がある。お互いにギブ・アンド・テイクの契約関係である。

契約関係であると言えば会社とかも一緒だ。実は家族とかも契約関係であるとも言える。会社は労働力を、或いは労働の成果物を提供する社員に賃金を支払う。昭和的モデルで言えば家庭とは夫が勤労の義務を果たし、家事労働のサービスの権利を有する。妻は家事労働の義務を果たし生活の糧を得る権利がある。セックスに関しては権利と義務の両面と言うところか。ただし、原則として他の異性とのセックスは認められない。*1

契約関係は義務を果たし権利を行使していれば万事上手く行くとは言えない。様々な気配りや交渉が必要だ。ただ、契約関係にも自然発生的な組織と目的がある組織とではちょっとそのあり方が違う。自然発生的な組織に必要なのは思いやりとか気配りとか慈しみとか愛とかそんなものだろうか。目的がある組織に必要なのは交渉とか目標とか計画とか統制とかそんなものだ。

自然発生的な組織の代表格は家族だ。営利目的の組織の代表格は企業って事になる。世の中には色々な組織があってどんな組織にも営利的な目的があるだろうし、家族のように寄り添うような一面を持つだろう。家族だってよりよい生活を求めてお互いに協力し合うし、どんなマッチョな企業だってお互いの仲間意識みたいなのはあるはずだ。

このように組織は家族的組織と企業的組織ってのがある。言い換えればゲゼルシャフトゲマインシャフトって事になるだろうか。*2

その他にも家族的組織と企業的な組織の違いというのは目的の有無の他に参加・離脱の自由度の違いがある。この辺も色々モデルが崩れ始めているので詳細は省略。

ところで国家とは家族なのか企業なのかってのはある。前述の通りどんな組織も両面を持っているので一概に言えないのは百も承知だ。けど、アメリカという国家はその国民の期待も為政者の有りようも日本人が持っている国家観よりより企業的であり、日本はアメリカよりは家族的なのでは無かろうかと感じている。

日本人である俺がより家族的な国家観を持ってオバマの演説を聞いたときに感じた違和感ってのはその辺にあるのかと思う。会社の社長が社員を発奮させているかのような演説だった。日本人は現時点で為政者のこんな演説を素直に聞かないだろう。

けど、好むと好まざるとに関わらず国家はより企業的な性質を帯びざるを得ないというのが時代の趨勢なのだろう。アメリカが今、こういう場所にいるというのはやっぱり国家として日本よりある意味では先を行ってるのか。それを認めたくないというのはあるけど。未来の世界は国家というのは完全に営利的な集団になって離脱や参加がもっとカジュアルに容易になっていくのだろうか。日本はもうダメだね。俺アメリカに行くわなんてのが一部の富裕層だけじゃなくてって事になるのだろうか。

吉本隆明共同幻想論のなかでこんなことを書いていた。日本人が国家について考えるとき頭の先から爪先まで国家にすっぽりと覆われているような感覚を持っているけど、欧米人の国家はそれではない。欧米人にとっては国家はもう少し小さな存在で、今までもこれから先もそこに存在しているのではなく、今は取り敢えずアメリカとかイギリスとかって形を取っているってそんなものだって。

そんな違いも俺がオバマに対して感じる違和感の根っこになってる。

*1:あくまで判りやすいモデルって事で。他に色々なモデルがあるというのは重々承知。

*2:参照:共同体 - wikipedia