討論

討論は好きではない。って書くと意外に思われるかも知れないけど本当にそう思う。意見が違う人と話をしたとする。何が違うのだろうと興味を持つことがある。そして相手の話を聞いてみる。そしてなるほど、と思えれば見つけ物だ。そうして俺の見識は僅かながら広がる。

お互いに対等と思っている(であろう)相手と意見が食い違うとき。俺がしたい作業は一致点と差異点を見いだすこと。「ここは一致してるね、ここは俺の意見が曖昧だったね、ここはそっちが矛盾してないか?、ここは違うね、違うのはしょうがないな」って感じ。こうしてお互いの違いが明確になる。理論化が容易でないところまで明確になったらそこでお終い。「それ以上このことで話してもしょうがないじゃん、他の事話そうよ」って思う。

広がっていく話と狭まっていく話がある。違う意見に触れたら一端は問題を整理するために話を狭めていく作業が必要になるけど狭めていくばかりはつまらないのだ。広がっていく話が楽しいのだ。違っているところは違ってるで良い。さらっと流したい。そして広げたい。

俺はSの気があるらしい。相手を追い込むのは嫌いじゃない。嫌いじゃないからこそしてはいけないとおもう。なので討論はしたくない。追い込まれるのはもっと嫌だ。

参考
討論と議論 - Vhimaの日記
討論 偏向洞察クロニクル/ウェブリブログ