偶然か必然か

例えば秋葉原の加藤容疑者の例の事件で説明してみる。あの事件は派遣社員等社会で不安定な立場にある人間に対する不適切な処遇が引き金となり必然的に発生した事件であるという見方がある。一方でどんな世の中でも不満を持っている人はいるし、持っている持っていないにかかわらずおかしな行動に出る人間は一定程度出現するという意見。

一言で言えば前者の立場での加藤事件は必然であり、後者では偶然であるという事になる。

発生に関しては確かに偶然で良いのかな。実際、犯罪の理由なんて身近な人にも判らないだろうし、本人だって何でそんなことをしたのかってのが答えられない人だっているだろう。もしかしたら殆どの人がそうかも知れない。特に犯罪という異常行動において「何故したのか」って事を細大漏らさず答えられる人がいるというのはなかなか信じ難いことだ。

尚更、赤の他人は軽々しく犯罪の理由など推定できない。推定できなければ犯罪を偶然として処するのも正しそうな気がする。

それでも社会全体が「犯罪の理由」というのを考えるのは良いじゃないか、価値があるじゃないかと俺は考えるのだ。

何か事件がある。そしてその理由はある程度、汎用性があったとする。今回のような派遣労働者の不遇とか。そこに汎用性があり、犯人の心情を理解出来る人が多ければそれはその心情の象徴として意味を持つ。発生自体は偶然でも良いのだ。世の中にある機運の何となくもやもやとした不満や不安などを象徴するきっかけがあれば良い。

やもやとした物がベクトルを持つとき、その方向は万人が是とすることなど出来ないだろう。ただ、こんな風に犯罪が社会的な契機となりうるのだと言うことだけは認識しておかなければならない。

wikipedia:還元主義

還元主義を生むきっかけとなった考え方は、デカルトにより1637年に刊行された『方法序説』の第5部において提示された。デカルトは、世界を機械に譬え、世界は時計仕掛けのようであり、部品をひとつひとつ個別に研究した上で、最後に全体を大きな構図で見れば機械が理解できるように、世界も分かるだろう、という主旨のことを述べた。(ただし、デカルト自身は、正しく理解するためにはひとつたりとも要素を脱落させてはいけない、といった主旨のことも他のくだりで述べていることに注意する必要がある。)