「幽霊」とかは存在しないって事の証明(過去日記)

【前提1】
意識とか自己とかは記憶に基づく。一秒前の記憶がない意識があり得るだろうか。記憶が無くても感情はあるだろう。怒り悲しみ喜び。それらの感情を繋げるには記憶が必要だ。感情が繋がるともう少し複雑な意識の礎(いしずえ)となる。記憶で繋がらない感情は反応でしかない。

意識は言語化や映像化等の変換を繰り返しながら人間の脳の中に蓄積=記憶される。今日の意識は昨日の意識と連続している。この連続していると感じられるのも記憶があるからだ。その意識の連続性を了解する事が自己と呼ばれる現象なのである。

感情は記憶によって繋がれそれがやがて意識となる。意識はやはり記憶で繋がれやがて自己へとなる。

【前提2】
記憶とは情報である。情報は何らかの状態で保持されなければそう呼べないし利用も出来ない。磁性体の配列がハードディスクなど磁気媒体上の情報となる。DRAMは素子一つ一つの電化の状態で情報を保持する。人間の記憶は脳内のニューロン間のシナプス結合により保持される。このように情報は物質=媒体の状態により保持される。媒体無き情報はあり得ない。

【前提3】
幽霊などの霊的現象とは肉体が消失した後に残る意識、或いは自己である。

【結論】
肉体という記憶媒体の無い情報はあり得ない。意識とは記憶=情報に基づく。従って意識は肉体の消失後に残る事は無い。従って幽霊等は存在しない。

「意識とは何か」と言う事を探ると人間の脳の複雑さに触れる事になる。そんな複雑な物が幽霊のように何となく存在するとは考えづらい。しかし、感情となると意外に単純である。誤解を避ける意味で付け加えると「感情の表れる過程」は複雑だけど「感情そのもの」は単純だって事だ。
昔から感情は五情とか六情とか云う通り比較的少ない分類で表されてきた。 近代的な例ではプルチック感情モデルがあるけどこれにしても単純だ。

このように単純化された「感情」だったらもしかしたら肉体が消失したあとに残るかもしれない。そのごく僅かな可能性は否定しづらい。オカルト界ではこれを残存思念とか云うらしい。けど、仮にあったとしても幽霊などのように自己を持ち人の形をして残るなんていうのはやっぱりあり得ないとしか言いようがないのだ。

それでも幽霊を見た、とか霊の存在を感じるって人たちへ。
俺はあなた方の感覚を否定しない。形はないけど確かに在るとか言われたら、多分、その「在る」の意味は俺とその人では違うんだろうと思う。前提が違うので結論も違う。俺は俺の前提に基づき「無い」と言う結論を出した。違う人は違う前提で「在る」を導けばいい。