政権交代とか民主主義とか

小沢民主党の戦略を見ていると全ては政権交代をするための行動に見える。政権交代をして何々をするというのではなく、取り敢えず政権交代が目標なのだ。だから自民案に対しては何でも対案を出す。参院の優位を活かして何でも反対する。

何故政権交代かというと政権交代が必要だとの考え方に基づくのだろう。それがあるからこそ小選挙区制を導入した。小選挙区制では第三位以降の政党は票を確保できず不可避的に二大政党制へと向かう。

過去において細川政権、羽田政権が発足しはしたがその後は目立った動きはない。その機関は僅か十ヶ月である。その後村山内閣を含めると14年間自民党の政権が続いているのだ。

二大政党制であっても万年野党であってはあまり意味がないのだ。政党の力なり人なりは政権を取ってこそ醸成する。だから定期的に入れ替わるのが望ましい。

何故定期的に入れ替わらなければならないかというと国民に選択肢を与えてこそ民主主義が機能するという点、立法府と行政府の癒着を防ぐという点で有効だ。*1

今になって民主党がある程度力と支持を得て政権交代まで後一歩かっていう風に見える。民主党も政権を一度取れば力を付けるかもしれない。二年ぐらい政権を維持できればそこそこ安定した評価にもなるだろう。小沢の狙いはまさにそこだ。このまま自民党だけに任せていてはいけないとの思いがあるに違いない。

ただ、今何が何でも政権交代って時期なのかなって疑問は残る。世界同時株安など不安材料が多いという時期に政権交代という冒険をしても良い物か。これは民主党に実績がないからなおさら思うのだけど、実績がないからと言って避けて逃げていたらいつまで経ってもそのときは来ない。この辺は匙加減をするようなもので判断はとても難しい。

ところで、民主主義というのは二大政党制を実現しないと機能しないようだ。そして二大政党制の前では少数意見は黙殺され政党間の差異は少なくなる。アメリカの共和党民主党においても差は少なくなってきている。民主主義は意思決定の為の装置というよりも、意思決定する装置を監視する為の装置でしか無くなっている。そしてその意思決定は所謂永田町の理論とかマスコミの理論とかそういう意図的だったり恣意的だったりする物によって左右されるのだ。

民主主義とは手続きだとかよく言われる。民主主義を機能させるためには手続きが大切だって事なんだろうけど、そろそろそれは比喩でも暗喩でもなく直喩的に手続きでしかないって事になりそうだ。意思決定の手段は既に国民の元にはない。出鱈目が出来ないよう監視するぐらいだ。それでも我々は騙されたように出鱈目の口先に乗ってしまったりする。

*1:不勉強のため見逃している項目があるかも