オリンピックの機能

オリンピックはスポーツを通じて世界を一つにすると云う建前がある。今回のオリンピックでは国家統一のためには少数民族の弾圧を行おうとする中国側の価値観*1と、強引すぎるそれらの施策は良くないという欧州などの価値観の鬩ぎ合いがある。それらの価値観を擦り合わせる機会となった。

価値観が均質化していくというのは情報や経済が流動化する流れの中では不可避である。ただ、それが早く進むか遅く進むか。遅く進めば異なる価値観が醸成されていくスピードに負けると云うことも考えられるけどそこまで遅くなっていくのは今の世の中では考えづらい。遅かれ早かれ世界は均質化へと向かうのだ。

今回のオリンピックはチベットでの争乱*2とタイミングが一致したために計らずともこの機能を強調する形になった。これは均質化に寄与することを意味する。

さて、均質化が良いことなのかどうかは甚だ疑問だ。世界は多様性があった方が面白いともう。完全に均質化してしまったらそれはもう熱死の状態となる。多様性があれば争いは必ずあるのだろう。多様性を持ちながら争いのない世界というのが可能なのか。勿論、それが理想なんだろうけど。

*1:それは多分に漢民族の他民族に対する差別意識に根ざしている物と思う

*2:蜂起でも暴動でも良いのだがここではニュートラルに争乱