裁判員制度について

模擬裁判 五グループ判決…量刑の差検証する初の試み(毎日新聞)

来年5月に裁判員制度が始まるのを前に、裁判官と裁判員役の五つのグループが、同じ事件の判決を言い渡す模擬裁判が14日、東京地裁で行われた。量刑にどの程度の差が生じるか検証する初の試み。パート女性が夫を包丁で刺して6カ月の重傷を負わせた架空の殺人未遂事件が対象で、判決は実刑1グループ、執行猶予4グループだった。 

各グループは裁判官3人と裁判員役6人で構成。20〜70代の会社員、自営業、主婦らが裁判員役を務めた。評議では、過去の類似事件の量刑データを一覧にした裁判所作成の資料を参考にしながら、議論を進めた。その結果、4グループが懲役3年、執行猶予5年(うち一つが保護観察付き)、残る1グループが懲役2年6月の実刑だった。

評議に参加した登石郁朗裁判長は「もっとばらばらになると思ったが意外」、角田正紀裁判長は「突き詰めた議論をすると、ある程度、結論が集約されるのでは」と話した。

裁判員制度を導入すると評議の結果はばらつくかも知れないって予想されていたのだがそれほどでもないようだ。このことが何を意味するのか。

裁判員制度では裁判官3人と裁判員6人の合議体を形成する。その合議体の中で判決が決定される。合議体の中でプロの裁判員に抗しうる裁判員がいるのだろうかと考えると甚だ疑問だ。結局、素人は殆どの場合、プロの言いなりにならざるを得ないのではないか。

この結果がばらついたとなると裁判員の意向が反映されたと見て良いだろう。ばらつかなかったのだから今までの判断とあまり大差がない。では、ばらつきがあった方が良いかというとそんなことは無いだろう。同じ罪で異なる裁き方をされるのは許されない。

裁判員制度があったから正しい判決をすることが出来たという効果に関しては懐疑的になってしまう。裁判員制度は今後どのように機能するのか。

裁判員制度 - Wikipedia 導入の背景と理由

日本も戦前に刑事裁判に限り陪審制が導入されていた時期がある。また、1980年代には東ドイツをはじめとする共産主義国家でも導入されていた。共産圏諸国の行政的動機は、行政のみならず立法権を官僚が事実上掌握した社会において、官僚が制定した法の遂行作業(司法)を国民自身に参加・担当させることで、「ガス抜き」および国民の体制内化をもたらして、官僚支配を不可視にし、政治体制の維持延命を図るものであった。

穿った見方をすればガス抜きの効果しかないのかも知れない。良心的に見れば*1国民を判決に参加させることにより無闇に厳罰化に走らない理由が理解を得られる機会となる可能性もあるだろう。

昨今、被害者感情の慰撫の側面ばかりが取り沙汰される。それは勿論必要だけどそればかりだと困る。そればかりになったら裁くことは復讐に段々と近くなる。被害者感情ばかりに流されることは一定程度、プロの裁判官が歯止めをかけてくれることに期待したい。この裁判制度が国民感情とやらに流されて罪人をつるし上げろという声に応えるだけでしかないのなら、まさしく「ガス抜き」としてしか機能しない事になるのだ。

*1:俺は昨今の厳罰化の現状に危険性を感じているのでその立場から見れば