チベットはどうなった?

一頃はオリンピックをボイコットしろだの随分と過激な意見が出てきたけど最近はとんと報道も情報も減った。サミットのところでちらっと書いたけどフランスも開会式に出席するらしいし。あれ?フランスは初志撤回したの?って思ったけど撤回ではないようだ。ボイコットするとは明言していない。示唆しただけだった。ただし、チベット自治区での弾圧が続いた場合ボイコットする可能性があるとしている。じゃあ、弾圧は終わったのか。終わったという話がまるでない。小康化しているのかもしれないが事態が解決されたとは思えないのだ。

まず、中国はチベット亡命政府との対話を開始したようだけどまずそれに関する報道が少ない。

新華社がダライ・ラマの代表との対話内容を報道

新華社は、杜部長が◆北京五輪の破壊活動を支持しない◆暴力犯罪の扇動を支持しない◆チベット青年会議テロリズムを支持せず適切に規制する◆チベット独立を図る一切の活動を支持しない――の「4つの不支持」を要求し、ダライ・ラマ側は受け入れたと伝えた。

記事中にチベット亡命政府が「しないこと」が書かれているけど、問題は中国政府当局が「しないこと」という事の方がずっと大きい。そこにまるで触れられていないのだ。これは中国側の報道だからだろうか。

ダライ・ラマ:チベットの状況は今も不透明

ダライ・ラマチベットの現状について「今もなお不安定で、住民は危機的状況下での生活を強いられている。状況はなおも改善されていない」と述べ、中国政府を「チベット住民の文化的・精神的遺産を傷つけている」と非難した。また本会談後の公式文書では「チベットを巡る対話は今、重大な局面を迎えている」と強調した。

ダライ・ラマ=チベット亡命政府側は決して満足していない。訴え続けている。なのに世間は沈黙したままだ。少なくとも日本はそうだ。世界も似たような物じゃないだろうか。

前のサミット絡みの記事でチベットという枠組みは古くなったのだって意味のことを書いた。書きながら違和感を感じていた。古くなったのかもしれないけど飽きられるのが早過ぎやしないかって違和感だ。

俺はチベット亡命政府を支持できないものの、中国の弾圧には抗議すべきってスタンス。4月ぐらいに一番盛り上がっていた頃はみんなチベット独立を後押しするぐらいの勢いだったのに今はそんな声全然聞かない。

俺が四月の時点でのあの騒ぎに背を向けていたのは、あのエネルギーの原資は日本のナショナリズムの裏返しに他ならないと思っていたからだ。反中国だからその中国が弾圧しているチベットに肩入れする。だからチベット支持。敵の敵は味方だという単純な構図である。勿論、全部の人がそうとは思わないけど、本当にそんな事関係なくチベットの事を支持していた人もいるんだろうけど。

けど、実際はそこなんだろうな。殆どの人はもう忘れてしまったのだ。オリンピックという華々しいナショナリズムの容れ物があれば満足なのだ。けど、それにしても忘れ去るのが早すぎないか? マスコミも報道が少なすぎないか?

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